執着を手放す、補足

少し前に「執着を手放す」というタイトルでアップしたのですが、どうもちゃんと書けてない気がしたので補足を書くことにしました。と言いますのも、数少ない面識のあるブログ訪問者さんに昨日偶然お会いしたのですが最近更新しているか聞かれ、していたのでお答えしました。その後に、最新ブログを読み直してみて、内容がわかりにくいな~と反省。文章力の問題ですね。で、リライトを試みる事にしました。

執着と言う言葉から、その人に取って魅力的に見える物や人等を忘れきれない事を指すイメージが私にはありました。しかし、魅力的でないどちらかと言うと嫌な物や人等に対しても離れたいのに忘れきれない事に気が付いたのです。平たく言えば、煩わされてきた物事や人に対して嫌なら立ち去ればいいものを自分から立ち去ることが難しいのです。これは、多くの人が変化を避けようとするのと同じ事と、私の性格からきている気がします。これ迄どのような事も、壊すことで解決しようとしない姿勢(白黒をつけるよりも色んなアプローチで解決を図る)でいつもやってきていました。多分、これまでそれをやってきてやり尽くしてその場から立ち去らないと次に進めない所まで来たのだと思います。きっと見直しなさいと言う事でしょう。

私は執着しているものが魅力的かどうかで考えていた事自体が、間違っていたのに気が付きました。人は、どのようなものに対しても執着を持つことがあるだけの事。そのような違いは、精神世界では意味を持たない、スピリチュアル的に考えたら簡単な事なのに。強い思いで何かを得ようと思い続ける事(執着し続ける)は、時に叶うでしょうが全てを俯瞰してみる事が仮に出来たとしてどこかに無理が必ずあります。全てを俯瞰してみる事が出来るのは人知を超えた存在しかあり得ませんが。無理がどこかにあると早晩支障が必ず出てくる事になります。


得たい物や人がある時に、その思いを持ち続ける事が良くないと言っているわけではなく、得るための自分に出来る事をやったら手放す、忘れたり時に諦めの境地(もう、どうとでもなってくれ、の気分かな)みたいな状況になると見えない世界が動き出す事に繋がります。スルスルと思う方向に動き、無理がなければ予想以上に周り全てが良い方に進んでいくことに繋がり易い気がします。上手く描写出来ませんが、「無私」の境地で物事にあたることが出来た時、最良の道に繋がります。きっと無私の境地は、見えない世界へのアクセスポイントなのでしょう。

何だか、前のブログよりももっと分かりにくいものになってたりして・・・皆様のイマジネーションで補って読んでいただけたら幸いです。執着を手放して軽やかに生きていく事を目指せたら良いですね。

では、皆様の心が安寧でありますように。(@^^)/~~~心天

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