愛ある破壊とは

今回のタイトルは、少しショッキングかもしれません。因みに破壊の意味をネットでしらべると、「原形を保たないまでにうちこわすこと。うちこわされること。こわれること」余り良いイメージの言葉ではない気がします。私の中で、これまで破壊を如何に回避するか破壊に至らないようにやってきてました。自分から人の縁を切ることもせず、ネット上で面識のない方とやり取する際も最初に必ず私から切る事はしませんが、あなたが望むようにして下さいと伝えていました。返信も気が向いたときにして下されば良いですと。加えてやり取りに意味を見出せなければいつでも止めて下さっても構いませんし、何より必要が無くなり卒業はいつでもどうぞと。これは、お互いを尊重しあう為にどうしても譲れない事だったのです。この考えを貫いてここまできましたが、何時の頃からか再生の為の破壊はありなんじゃないかと思うようになりました。何故ならどうしても動かせない事があると言うのが分かってきたからです。

少しより道してみますと、私は骨量を増やすべく努力しているのですが、人間の体には骨を作る細胞として二つの異なった細胞が関与していると言います。これもネット検索ですが、「骨は常に骨芽細胞(骨を作る細胞)による「骨 形成」と、破骨細胞(骨を壊す細胞)による「骨 吸収」を繰り返して再構築(骨リモデリング)を 営み続けて常に新しく生まれ変わっています」と書かれています。只作り続けていれば良いのではないのです。この二つの細胞のバランスがが乱れたり量に過不足が生じると骨粗鬆症等の問題が生じるようです。これって人の生き方にも示唆を与えているように思われませんか?私は、破壊、木っ端みじんに打ち砕くイメージで完膚なきまで打ちのめすようなネガティブなものしか持ち合わせてませんでした。しかし、昔から自然災害をはじめ戦争等で一切合切を破壊されてもしっかりと再生してきており、時には神様がやられた事ではないかという考えも読んだことがあります。この是非は、簡単には付けられないでしょうが、これまでの歴史上繰り返されてきている事だけは確かです。

破壊は、私に欠けていた事の一つなのかもしれません。今回ブログに書こうと思ったのは、破壊に付いて自分なりに考えて一つの方向性を得たからです。勿論、今でも破壊を出来る限り回避する姿勢に変わりはありません。しかし、どうしても最善を尽くしても無理な時に愛を持って破壊する事が必要であり勇気がいるけれどもそれは進むべき道の一つなのだと思い至りました。少なくとも絶対忌避するものではないのだと。

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つい先だって言霊遣い出張番外編で羽田空港に帰着した際に、空港内から撮った写真です。黄金色に輝いた夕日が素敵だったので添付しておきました。少し私の中の器が広がり、材質の強度もあがったのなら
\(^o^)/なのですが。

学びに終わりはないようですね。暑い夏に熱い内容のブログになってしまいました。決して暑さで頭に異変が起きたわけでは多分無いと思います。では、皆様酷暑が続いていますのでお身体を大切に乗り切って下さい。

心天

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