執着を手放す

執着に付いて書いてきてなかったので、今回取り上げることにします。執着と言いますと、何を思いますか?ネット検索では、「ある物・事に強くひかれ、深く思い込んでどうしても忘れ切れないこと」とありますが、どちらかというと自分に取って魅力的な事や物、人などに対して使われることが多いと思います。ですが、自分に取って余り魅力的でない事であっても知らない間に手放すことが難しくなってしまうことがあるのです。惰性と言いますか、よくない状況であっても慣れてしまうとそれを変える事を避けてしまう事があり、それも一種の執着ではないかと思うのです。これは、私の経験、今まさに置かれた状況でして一つ越えなくてはならない山のようなものかもしれません。頭では、執着を手放すことが大切だと分かっていますけれどどうも今まで何かにどっぷり浸っているのを自分から手放す事をしたことがなく足踏み状態なのです。勿論、どっぷり浸っていてもやるだけやってしまったり、飽きてしまったりすれば自然にフェードアウトしてきてますが。

今回、執着を手放すと言う事を違った視点でみたらどうなるかと考えてみました。すると目から鱗がポロリ(自分で書くのも恥ずかしいですが)と落ちた感じです。まず、執着を持つって過去にあった事から判断してるわけです。と言う事は、過去に生きることをしなければ良いだけ単純な事だとふと思いつきました。自分の中にある変化や挑戦を避けて無難にいこうとする思いを持ち続けることは自分に取って良くないことだなと気が付いたのです。少なくとも新しい経験や成長する機会を逸してしまいますからね。生まれてきて、何歳まで生きるかわかりませんから出来る事は出来るときにやっておかないと死の間際に後悔だけはしたくありません。

普通の意味で使われる執着を手放せば、執着していた事や物、人が手に入る(手に入りやすくなる)ともスピリチュアルの世界では言われています。確かに、今までに経験した事がありますから絶対ではないかもしれませんが一理あると思います。執着している物事を得る為に出来る努力をしたら、手放す(天や神様に委ねる)事をすればそれなりに動いていく感じがしています。では、今回取り上げた執着の一つは、どうなるのでしょうか?それは、自分を解放する事に繋がるのではないかと思っています。これって凄い事で自分の持つ可能性を引き出す事が出来ます。

昔、実家で噛み癖のある大きな秋田犬を引き取って飼っていたことがありました。その犬が時々脱走をしてしまい人を噛んだらいけないので(躾をし直して人を噛まないように更生?してましたが)探しに行って見つけて名前を呼びますと簡単に捕まえる事が出来ました。しかし何度か経験すると彼も学んで、名前を呼ぶと近くまで寄ってきますが、手が届くところまでは近づかなくなり脱走生活をエンジョイするようになったのです。困ったもんですが仕方ありません。すると今度は、自分から犬小屋に帰ってきてドアを自分で閉めて謹慎しているような事になっていったのです。推測するに、一人で歩き回っても怖そうな感じの大きな秋田犬で誰も遊んでくれないし、何もくれずお腹も空いて家に帰るしかないと考えたのでしょうね。大体、拾い食いをしたせいかお腹を壊してましたから辛かったのでしょう。例えとして適切ではないかもしれませんが、犬小屋にいる限りは安泰だけど外の世界を知ることは出来ません。犬と人間では条件が全く違いますけれど、犬小屋の外は自分の責任でやっていかなくてはなりませんが自由があります。勿論、犬小屋にいる自由もあるので選べるものなら自分で選べば良いのです。選びたくても選べない時もありますからね。


執着を手放した先にあるのは、どのような世界なんでしょうね。きっと生きやすいのではないかと思っています。それを知る楽しみがあれば、わくわく出来そうです。

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