変容の時

たまに自分のブログを読み直してみるのですが、何年も前から同じことを繰り返し書いているのを発見して殆ど足踏み状態じゃないかと気になっていました。原点に回帰していると感じながらも、前の自分と今の自分は違っているはずなのに中々吹っ切れない自分がいるのです。元々簡単に変わるタイプの人間ではないので仕方ないのかもしれませんが、随分長い間ぐずぐずしています。


今迄もぐずぐずする事がありましたけれど、今回は少し様子が違う気がします。今日、閃いたのは変容しているからではないかと気が付いたのです。変容とは、色んな定義がありますが「質的変化」であり一旦変わったら元に戻らないようなイメージではないかと思います。

これ迄色々な経験を重ねて自分なりに変化、成長してきていると思いますが、言霊遣いとして近親者の看病や看取り、後始末をやらせて貰った事で変容を遂げつつある事に気が付いたのです。ずっと自分なりに本などで得た知識や情報から身に着けたものを、実際に応用して得たものは何物にも代えがたい事だったようです。

このように書くととてもスムーズに事が運んだように見えますが、その前から知らない間に支えて貰える態勢を整えていたから乗り切れたようです。生き死に関しては、自分の根幹を揺るがすくらいとても精神的にきついものがあり自分を支えるものがあるかないかはとても大切な事だと痛感しました。近親者が、とても近しい人であった事や難病であり完治が難しい事等が重なり果たしてやり通せるのか、素の私では出来ないと直ぐに分かり、心天としてやると宣言したくらいでした。私は、自分の事を見守ってくれる人がいると言う支えがあって初めて自分の持っている知識やスキル全てを出し切る事が出来たと思っています。何が大切なのかを教えて貰いました。多分、ここが変容の一番大きな部分を占めていると思います。
 
一人で立ち会ったのですが死にゆく人の前で、延命処置はしないと決めていたのに突然心臓マッサージをしてしまった自分がいました。医療従事者ではないので、直接人に心臓マッサージをするのは初めての事でした。ベッドの脇から手を伸ばしてやったので真上からするべきでしょうが横からしか出来ませんでした。心臓マッサージの講習会でやった事は、頭から吹き飛んでましたが何故か心臓の位置に手がすっといきマッサージする事が出来、まだ付けていたモニターにより酸素濃度や血圧、などが短時間ではありますが正常値になりました。自分の手の中に命がある感覚は、とても不思議で命、魂と肉体が離れつつあるのを感じながら命の大切さを改めて自分の中に刻み込みました。魂が肉体を離れて、どこかに帰っていき、後には脱ぎ捨てた身体が残されているのを見た時に死に関しての思いも新たにした気がします。

人は誰でも生まれてきたからには、いつか死にます。死に向かって生きているとも言えますね。いつ死ぬか、どうやって死ぬかは分かりません。死は肉体を脱ぎ捨てる事になりますが、魂は生き続けると思っています。その先がどうなっているのかは、死んでみてのお楽しみとして死ぬとき迄どうやって生きるかがとても大事な事なんだと改めて思った次第です。


変容を遂げつつある私は、何が大切かを大事にしながら突き進んでいけたら良いなと思っています。死ぬときに持っていけるのはお金でも権威でもありません、目には見えないけれどその人として生きた大事な思い出や経験、愛だと分かればこれからどうやって生きていけば良いかヒントになりますね。難しいテーマでしたが、取り上げる事が出来て良かった\(^o^)/少しは前進出来そうです。

心天

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